2013年10月18日
過去の私について
こんにちは
今日は今の私からは
想像もつかないかもしれない
私の話をしたいと思います。
簡単に、
でも、長い話を
20年…いや~もうすぐ40年になりますが、
私自身のはなしをします。
病気については軽く書くので詳しくは会ってからなんてね(-。-)y-~
私が誕生してから
3カ月目に
熱が 39℃でて病院から病院へ
大学病院まで行っても
理由も解らず
約3カ月間熱が上がったり下がったり
続いたそうですが、
後になって
ビタミンKというのだったのではないかと言われましたが、本当の理由は解りません。
5カ月あたりから
気管支炎喘息と言う
診断で生死をさまよった事も
あったようです。
今は笑えますが
『20年持たない。』と
言われていたそうです。
アレルギー体質の気管支炎であり、
20代まで病院で入院も何度か
さまざまな病気経験の方とも
会ってきました。
いつでも愛を人から貰うことが多く
優しい方々と関わってきたことで
人に対しできる限り
やさしく接し、気を使う事が
あたりまえだと思ってました。
自分の身体的な器の大きさ(容量)を考えず
気付くと動こうとして
心に体が付いていかず
苦しく過ごしていました。
結婚をすると
相手に何かしてあげたい
気持ちからよけい、
それが増していき
半年間、順調ではなく…
更年期かと思うほど
お医者さんには、『マリッジブルー』と笑われ
「無理してるんだよ!」
と、言われました(((^^;
(病気のことは主人に付き合う前、話したのですが…負担になりたくない一心で無理してたのかも知れません。)
体の異変を感じた時に
これでは駄目だと思い、
主人に頼み
『日々頑張るための、
二人で愛を育てあげられる
形あるのが欲しい』
と 話し合い結果、
2011年に
他界した愛犬を飼い育てました。
飼い始めてからその後、
すぐアレルギー反応がありましたが
これ以上、病状が悪化しないようにと
「動いては休み」を繰り返すようにと
医師からの指示で生活してました。
その時点では部屋の中の色はバラバラ
統一感は全くありませんでした。
そこから引っ越す時にできるだけ
私が落ち着く白やクリーム色にして、
少しだけのお花の模様を
基準に色を入れていきました。
少し働こうと
郵便局や雑貨屋で
アルバイトをするように
でも、少しでも心に負担がくると
喘息の発作が…
それに気付かれたくなくて
ただ怠けているように見せていました。
主人の実家に同居した時も…
お仏壇があり後を継ぐので
今から手伝いながら覚えて置けば
不便なことはなくなるだろうと同居…
ただ…自分自身のことは考えず
主人に伝えました
私から言い出したから
主人もため息をついて
いやいやながら
『解った。
俺はやめたほうがいいかと思うけど…
しょうがない そうするか。』
と 言うことになったのですが
その後からですが、私に変化があり
本来の自分を取り戻そうと、
もがいていた時に
たまたま
セラピーの本で
イクイリブリアムボトルを見ました、
現実にあるのを知りました。
バスに揺られて親戚宅へ
そんな時に首里池の近くで
今の講師である
慈恩の看板を見て途中下車…
看板の前…お店の下で…気が付くと
電話を掛けていました。
それからが、不思議な体験の連続
主人の妹の誘いで
霊的に鋭い方々と逢う機会が増え
私の生活が香りや色に対する変化が
起こりました。
サロンをさせて頂いてますが、
『美しい夢のような生活をして
自分らしい自分自身で生きましょう!!』と言う
そんな思いから
ささていただこうと考えました。
そして、ヒーリングをさせて頂く事で、
さらに、 健康的になっています。
私自身まだまだだとおもいますが
毎日明るくいられます。
本来の私の状態を保てるようになり
心身ともに私らしく居られます。
また、
かわいらしい赤やピンクの服も
着て歩くように…着られるようになりました。
そのため、
色や香りがもたらす力が
身体的な事にも関係していることを
私が経験しました。
今は、
主人も寮生活のため、
実家に居ながら敷地内の
離れでサロンを
させてもらっています。
落ち込んで病気になる前に…
やさしい自分自身を表に出すために
心のマッサージをしてください
ヒーリングやカウンセリング、
セラピーをすることで
内面から輝き取り戻したいと願う
貴方の手助けになれば…と思います
幸せになりましょう
自分自身が描いている
輝きの未来を
本来のあなたのために…
長い文書を読んで頂きありがとうございました。\(^^)/
実際の出来事です。
変われますよだれでも
3カ月目に
熱が 39℃でて病院から病院へ
大学病院まで行っても
理由も解らず
約3カ月間熱が上がったり下がったり
続いたそうですが、
後になって
ビタミンKというのだったのではないかと言われましたが、本当の理由は解りません。
5カ月あたりから
気管支炎喘息と言う
診断で生死をさまよった事も
あったようです。
今は笑えますが
『20年持たない。』と
言われていたそうです。
アレルギー体質の気管支炎であり、
20代まで病院で入院も何度か
さまざまな病気経験の方とも
会ってきました。
いつでも愛を人から貰うことが多く
優しい方々と関わってきたことで
人に対しできる限り
やさしく接し、気を使う事が
あたりまえだと思ってました。
自分の身体的な器の大きさ(容量)を考えず
気付くと動こうとして
心に体が付いていかず
苦しく過ごしていました。
結婚をすると
相手に何かしてあげたい
気持ちからよけい、
それが増していき
半年間、順調ではなく…
更年期かと思うほど
お医者さんには、『マリッジブルー』と笑われ
「無理してるんだよ!」
と、言われました(((^^;
(病気のことは主人に付き合う前、話したのですが…負担になりたくない一心で無理してたのかも知れません。)
体の異変を感じた時に
これでは駄目だと思い、
主人に頼み
『日々頑張るための、
二人で愛を育てあげられる
形あるのが欲しい』
と 話し合い結果、
2011年に
他界した愛犬を飼い育てました。
飼い始めてからその後、
すぐアレルギー反応がありましたが
これ以上、病状が悪化しないようにと
「動いては休み」を繰り返すようにと
医師からの指示で生活してました。
その時点では部屋の中の色はバラバラ
統一感は全くありませんでした。
そこから引っ越す時にできるだけ
私が落ち着く白やクリーム色にして、
少しだけのお花の模様を
基準に色を入れていきました。
少し働こうと
郵便局や雑貨屋で
アルバイトをするように
でも、少しでも心に負担がくると
喘息の発作が…
それに気付かれたくなくて
ただ怠けているように見せていました。
主人の実家に同居した時も…
お仏壇があり後を継ぐので
今から手伝いながら覚えて置けば
不便なことはなくなるだろうと同居…
ただ…自分自身のことは考えず
主人に伝えました
私から言い出したから
主人もため息をついて
いやいやながら
『解った。
俺はやめたほうがいいかと思うけど…
しょうがない そうするか。』
と 言うことになったのですが
その後からですが、私に変化があり
本来の自分を取り戻そうと、
もがいていた時に
たまたま
セラピーの本で
イクイリブリアムボトルを見ました、
現実にあるのを知りました。
バスに揺られて親戚宅へ
そんな時に首里池の近くで
今の講師である
慈恩の看板を見て途中下車…
看板の前…お店の下で…気が付くと
電話を掛けていました。
それからが、不思議な体験の連続
主人の妹の誘いで
霊的に鋭い方々と逢う機会が増え
私の生活が香りや色に対する変化が
起こりました。
サロンをさせて頂いてますが、
『美しい夢のような生活をして
自分らしい自分自身で生きましょう!!』と言う
そんな思いから
ささていただこうと考えました。
そして、ヒーリングをさせて頂く事で、
さらに、 健康的になっています。
私自身まだまだだとおもいますが
毎日明るくいられます。
本来の私の状態を保てるようになり
心身ともに私らしく居られます。
また、
かわいらしい赤やピンクの服も
着て歩くように…着られるようになりました。
そのため、
色や香りがもたらす力が
身体的な事にも関係していることを
私が経験しました。
今は、
主人も寮生活のため、
実家に居ながら敷地内の
離れでサロンを
させてもらっています。
落ち込んで病気になる前に…
やさしい自分自身を表に出すために
心のマッサージをしてください
ヒーリングやカウンセリング、
セラピーをすることで
内面から輝き取り戻したいと願う
貴方の手助けになれば…と思います
幸せになりましょう
自分自身が描いている
輝きの未来を
本来のあなたのために…
長い文書を読んで頂きありがとうございました。\(^^)/
実際の出来事です。
変われますよだれでも
Posted by 美夢 at 08:00
│日記!?